BSA Ⅳ 対外経済貿易大学
米山 喬世さん
立命館大学 経営学部経営学科 2012年4月入学
私は華橋の家庭に育ち、幼い頃から中国語には慣れ親しんでいました。さらなる語学レベルの向上を目指して、大学入学時には中国語圏へ1年間の留学に行くことを志していました。
2回生後期から、中国・北京の対外経済貿易大学という、国際貿易に特化した大学へ留学。留学中1年間は日本に帰ること無く、語学学習のみならずインターンシップをするなど充実した留学生活を送りました。将来は、アジアを中心としたビジネスに関わりたいです。
大切な出会いをした、私の北京留学
私の留学生活は、「行って良かった!」の一言に尽きます。私が留学をした年の前年に、日中は尖閣諸島問題や中国のPM2.5(空気汚染)問題などが日本メディアによって報道され、中国という国のイメージは非常に悪いものがありました。しかし実際はというと、空気汚染は仕方がないものの、目立った反日行為を受けたことはなく、逆にヨーロッパ人の友人から、尖閣諸島について日本の意見を聞かれることもありました。確かに、中国で反日感情を持つ人は少数ながらいます。しかし、それは政治上での衝突であるにすぎず、国民同士は友好関係を持つべきで、アジアだけでなく、世界の経済発展の重要要素である中国市場にポジティブなイメージを持ち、中国という国に接してほしいと思います。
私の留学中のクラススケジュールは、前期ビジネス中国語コースを選択し、授業は全部午前に組み込まれていました。後期は、現地の学生が受講するものと同じ授業が受けられる研修コースを選択し、授業は1日2科目で午前と午後バラバラに組み込まれていました。対外経済貿易大学の特徴として、授業は自分で選択し履修するのではなく、コースを選択すると時間割は学校が組みます。選択したコース以外では、日本語で中国経済を学ぶ授業、現地の学部留学生用に開講される授業、また学生会が主催する日本語授業にてボランティア講師もしていました。また、2つの企業でやらせて頂いたインターンシップは非常に貴重な体験でした。実際に社員として働く体験をし、ITの企業では、新たに売り出すIT商品の開発と制作を担当しました。2社目では、日本のデザイナーズブランドの卸売り部門での仕事で、社員が少ない部門ということもあり、資料作りからコピー、宅配の処理など、さらに日本の本社から来た日本人社員の対応や各種書類の翻訳なども行い、業務内容は幅広いものでした。このインターンシップを通し、社会人として働く自分の姿を想像することが出来ました。会社によって、働き方や社風が全く異なり、将来中国で働く自分のキャリア描きのヒントになりました。
勉強だけでなく、遊びや交流にも力を入れ、北京では大学の先輩から誘われたタッチラグビーの日本人チームに参加しました。毎週土曜日の午前はタッチラグビーのチーム練習、外国人チームとのゲームを楽しみました。タッチラグビーのチームには、日系企業からの駐在員の方、北京で自営業を営む方が参加されており、日本では築く事が出来ない人脈や関係を築く事が出来ました。現在も、月に一度はタッチラグビーの元メンバー方と食事に行きます。
今回の留学で、私は沢山の大切な仲間を見つけることが出来ました。クラスメートだったギリシャ人やポーランド人の友達や、北京で知り合った日本人の友達や、姉のような存在のルームメイトは、今でも連絡を取り合っていて、私の一生の友達です。留学に行かなければ出会わなかった人、得られなかった価値観、経験は自分が成長する上で必要不可欠な要素であった思っています。機会があればもう一度、在学中に北京に足を運びたいです。
▼私の留学日程表
2012年4月 | 入学、基礎演習担当教授に留学の旨を相談 |
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2012年8月 | 留学のために資格試験の勉強に励み、HSK5級を取得 |
2012年9月 | 基礎演習担当教授から他の教授や先輩を紹介してもらい志望理由書を何度も添削 |
2013年8月 | 北京、対外経済貿易大学に出発 |
2014年1月 | 現地の日系IT企業にてインターンシップ(同年6月まで) |
2014年7月 | 現地の大手高級化粧品・生活用品卸売り企業にてインターンシップ(同年8月まで) |
2014年8月 | 帰国 |
▼留学中の生活調査 私の一週間
午前 | 午後 | 夜 | |
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